8.特別講演


② 「発電事業を行った経緯」


大内 督
プロフィール
1973年福島県二本松市生まれ。一般社団法人二本松有機農業研究会代表。97年に就農し、有機農業の世界に入る。野菜2町歩、稲作2町歩、大豆・小麦2町歩を作付け。原発事故を教訓にエネルギーについて学び、有機農業と発電事業に取り組む。


●二本松有機農業研究会の歩みと発電事業を行った経緯
(二本松有機農業研究会 代表 大内督)
1978年  大内信一が地域の仲間17名と農協の部会として発足、環境に負荷の少ない自然に優しい農法を実践し、お客様と顔と顔の見える関係を大事にした提携を基本として信頼関係を築きながら有機農業を確立してきました。

2000年  有機JAS法が制定され13haで取得しました。

2006年  有機農業推進法が制定され、有機農業を推進するために国、地方公自治体の責務が明らかになり、有機農業の未来に明るい兆しが見え始めていました。

2011年  東日本大震災による原発事故で放射能汚染により事態は一変いたしました。
顔と顔の見える関係を大事にした提携が崩壊し、お客様の6割が減少いたしました。
福島で農業、有機農業を続けるのは困難ではないかと悩みました。

2012年  「福島100年未来塾」をアプラと共同開催。全6回開催し有機農業を福島でこそ続けていく意義を再認識するとともに、あまりにもエネルギー問題に無知だったことを反省し、エネルギー部会を立ち上げました。

2013年  大地を守る会のエネルギーコンペで特別賞を頂き、益々エネルギーの先進地視察を行う。食品残渣、家畜糞尿、ソルゴーなどの作物を投入しメタンガスを発生し発電する、バイオマガス発電を中心に視察致しました。

2014年  アプラの協力もありドイツ視察が実現して、益々バイオマスガス発電に興味がわきました。地域を絡めた循環型社会を作り、農地の再生もできるのではないかと勉強しましたが、実現には労力、お金が大変なことに気づき断念致しました。

2015年  それまで太陽光発電には慎重でしたが、ソーラーシェアリングと出会い、狭い日本では農地立体的に使い、食料とエネルギーを作ることは理にかなっているのではないかと思いました。

2016年  1月にソーラーシェアリングをてがけていた、KTSE合同会社のソーラーシェアリングの建設を手伝い、ソーラーシェアリングについて勉強させていただきました。
6月にソーラーシェアリング事業を行うことを決め、それまでの任意団体から一般社団法人にし代表も父から私に変更致しました。
9月に、パルシステム東京にてキックオフ集会を開催してもらいパネルサポーターを募り、多くの方々に支援していただき力強く感じました。
しかし12月に農地転用許可申請を提出しましたが、二本松市で最初の申請ということで市役所も慎重になり精査時間がかかり許可が下りるまでに1年3か月もかかってしまいました。
途中何度もあきらめようと思いましたが、多くのパネルサポーターの方々からの善意が集まっていて、それを励みに諦めることなくできました。

2018年  3月に農地転用許可が下り、5月から建設を開始しました。建設には地元の人や、支援者の方が手伝いに来てくださり、暑さもあり大変でしたが、8月に無事に完成し、8月24日から売電を開始することができました。
2012年の「福島100年未来塾」でエネルギー事業をやろうと決めてから、いろいろな困難がありましたが、多くの方々の支えで成し遂げたことを思うと、とても感慨深く感謝しかありません。

2019年  10月からパルシステム電力さんと取引開始することができました。パルシステムとは以前から野菜の取引がありました。エネルギー事業を始めてから、「安全な食べ物と安全なエネルギーを」を合言葉に組合員さんに発信することができています。
その後2号機、3号機の建設を検討し、エネルギー事業を発展しようとしましたが、諸事情により断念することにし、野菜作りに専念することに致しました。

2022年  6月に国の「みどりの食糧システム戦略」に伴うオーガニックビレッジ構想に名乗りをあげ、二本松循環型農業推進協議会を発足し、会長に就任致しました。

2023年  2月に市長がオーガニックビレッジ宣言をし、二本松をオーガニックのメッカにしていくことを誓いました。
ただ、国の目標は2050年までに国の農地の25パーセントの100万ヘクタールを有機農業にするという内容です。とても実現性は低く現状を把握できていない感は否めませんが、国には振り回されないで、安全な食料とエネルギーを安定的に供給するために二本松で出来ることを実践して発信していきたいと思います。